アップマープ教材の贅沢な読み合わせ。
小川正人師範のアップマープ・テキスト推敲終了を受けて、昨日、都内某所にてナレーション録りのリハーサルを兼ねて読み合わせをした。
リハーサル室がある3階フロアーに上がると、窓から富士山が見えた。
窓ガラスに貼ってある避難誘導シールが、まるで「見て見て、富士山はここですよ!」と指し示しているかのようでほほえましかった。富士山を見るとホッとする。
このときが9時ちょっと過ぎ、それから16時過ぎまで、昼休み30分程を挟んでリハーサルをした。
ナレーターに読み起こしてもらうことで、まるで、原稿に魂が宿されていくように感じた。
みんな凄い集中力で、メイン解説の部分のみではあるが、フェーズ8まで読み合わせることができた。プロのナレーターにリードして頂く、とても贅沢な作業だった。
小川師範は、整骨院での施術(患者さんへの施術を全て一人でこなしておられる)や躾道館練馬支部長としての活動、そして、子供から大人までを対象とした様々なサークルで武道を指導しておられる。
そのあいまの細切れ時間を利用して、原稿をここまで仕上げられた。いつも言うが、このストイックなまでの生き様には本当に頭が下がる。
普通は、何とか頑張って自己コントロールしながら習慣を改めたりする。減量にチャレンジしたり、禁酒や禁煙などの類だ。
メンタルトレーニングを駆使するにしても、習慣や生活態度を改めるのは一筋縄ではいかない。
ところが小川師範の場合は、自己統制にゆとりがある。ストイックな生き様の中にも遊びがある。
孔子曰く、「七十而從心所欲、不踰矩」(七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず)
「七十才になったとき、思うままにふるまっても、それでも道をはずれないようになった」という意味だ。
一休曰く、「有漏路より無漏路へ帰る。一休、雨ふらばふれ、風吹かば吹け」
漏(ろ)とは煩悩のことだ。すなわち、煩悩を取り去って悟ってみれば、煩悩の路(みち)と悟りの路はほんの僅かな隔たりである。だから、悟りと煩悩の中間で一休(ひとやす)みしている。というような意味だ。
小川師範の生き様を見ていると、孔子や一休の言葉を体現しておられるように感じる。ストイックに生きようと思えばいくらでもできる。でもやり過ぎると、例えば周りの人達に息苦しさを与えてしまうかもしれないから・・・、と。
ストイックな生き様の中に、「遊びと余裕」が巧みに同居しているのだ。
絶望や挫折、傷つき、怒り、逃避、裏切りなどで生きる苦しさを感じている人も。より良い人生を望む人にも。アップマープは心身の鍛練に絶好のメソッドになるだろう。
読み合わせのときに録音した音声をBGMに、今この原稿を書いている。ナレーターの表現力も相まって、心が自然と前向きになる。
この音声を、アップマープのウェブサイトでお聞き頂けるようにした。あくまでも、リハーサル中の音声だが、アップマープの雰囲気を味わって頂けると思う。
http://www.upmrap.com/make/index.htm
セルシネ・エイム研究所 和田知浩
http://www.selsyne.com/aim/
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