大きな器の如く在れ!
自分の器が広がった瞬間を体感したことがあるだろうか?
例えば、誰かに対して怒りを感じながら瞑想に入ったとき、怒エネルギーの入った枠(器)が心の中で“ふっ”と緩んで穏やかな気持ちになることがある。
正しく自問自答の瞑想を積むと、普段の在り様から「器の大きい人物」となる。
それを傍から見ると、“鈍感”とか“優柔不断”と映ったりすることもある。器の大きい人は、誰かからの仕打ちも心に刺さらない、心に響かないのだ。
小さな器に入った水はすぐに波立つが、そんな小さな器がぶつかったぐらいでは、大きな器の太平は変わらない。
5年前、ツイッターに次のようなつぶやきを投稿をした。
『20年程前、セミナールームに高級スピーカーを導入した時に驚きました。小さめのボリュームにしておいて、後ろから前のスピーカーに近づいて行っても一定の音量に感じました。安いスピーカーだと、近づくとキンキンうるさく、離れると音が小さくて聞こえません。人の発言も似ているなーと・・・。』
2015年8月1日(土)
だれもがインターネットを使うようになった頃、“メディアリテラシー”の重要性が説かれたが、今もなお重要だと思う。
気を引くための“怒り表現”に迷わされてはいけない。大きな器の如く在れ!
セルシネ・エイム研究所 和田知浩
https://selsyne.com/aim/
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